お疲れ様です。そろそろ桜の季節だなと思い、去年買った未開封(賞味期限内)のリプトンの桜フレーバーを淹れたら、思った以上に香りが淡く感じた君色です。
桜フレーバーのみならず、最近は強めの香りづけに力を入れている食品業界の技術力の向上のスピードに脱帽です(ー_ー;)
ちなみにリプトンの桜フレーバー、淡い香りのおかげか香りも味も飽きずに飲めて、これも有り!!だと思いました。
さて今回はかつてミスチルをプロデュースしていた「小林武史」について調べてまとめました。
1.兄の影響と恵まれてた学習環境
1959年6月7日生まれで現在(2018年)だと58歳になります。
5歳からクラシックピアノを始め、自身の兄の影響で高校時代には「ジャズ理論」を自ら学び、後に自身も進学を考えていたバークリー音楽大学から帰って来た先生に「バークリーメソッド」をこちらも個人的に学んでいたそうです。
バークリーメソッドとは、アメリカのバークリー音楽大学で教えられている音楽理論、音楽大学のこと。(Wikipediaより)
バークリー音楽大学は1970年にアメリカのマサシューセッツ州ボストン市に本部置く大学で、主にジャズと現代アメリカ音楽などの商業音楽全般を専門としており、大学の他に専門学校だそうです。
小林さんはこの大学に行く気持ちはあったみたいですが、日本でもある程度学べたことと仕事が増えたことで、実践で経験がつけれることで進学は辞めたそうです。
大学に行かなくても学習できたという辺り、小林さんにバークリーメソッドを指導した先生も、かなり教えが上手かったどころか理論をしっかり理解していた先生だと伺えます。
2.サザンと深く関わっていた小林さん
20歳の頃からスタジオミュージシャン(キーボーディスト)として活動を始め、25歳の時に今は亡きギタリスト・大村憲司さんとの出会いをキッカケに井上陽水さん、坂本龍一さんなどの数多くのアーティストの楽曲やキーボディストとして参加したり、松本隆・筒美京平コンビの楽曲の編曲を手掛けるなど、一気に引っ張りだこ状態に!
1987年に桑田佳祐さんの1st、2st共にソロシングルのアレンジに携わり、かなりの高いの評価を得たそうです。サザンのライブで必ず歌われる「真夏の果実」「希望の轍」は小林さんも編曲で参加しました。
ちなみに「SUPER CHINPANZEE」というバンドとしても組んだことがあるそうです。
(スーパーチンパンジー・・・・)
3.今は手を放した?ミスチルとの活動
「まっさらなバンドをプロデュースしてみたい」と、Mr.Childrenをメジャーデビュー時(1992年)からプロデュースしましたが、当初はなかなかヒットしなかったそうで1993年にアルバムの「Versus」を出した頃から徐々にブレイクしました。(私がまだ幼稚園に入る前なので全然記憶がないです・・・)
キーボディストとしてツアーやライブ、フェスなどにサポートとして参加していたが、2014年のライブからサポートを外れて、現在のミスチルはセルフプロデュースが中心になっているそうです。
4.鬼束ちひろが復活のキッカケになったap bankの設立
2003年に桜井和寿、坂本龍一らと共に環境プロジェクトへの非営利融資機関「ap bank」を設立し、活動資金と融資金を集めるためにBank Bandを結成。ライブやフェス、CDにDVDのリリースなどで行っている。
その頃、TRICKのエンディングテーマで有名な鬼束ちひろさんは約2年半に渡って休止状態だったのが、小林さんがプロデュースを手掛けることを発表し、その年の小林さん主催のap Bankのイベント「AP BANG!東京環境会議vol.1」で復活させました。
このap bankの活動は世界的にも認められ、日本だけでなく世界の雑誌にも特集として組まれ程。東日本大震災以降、精力的に進めており、2017年7月21日、Bank Bandのコンセプト変更としてReborn‐Art-Sessionを結成しています。
いかかでしょうか?
・学生時代から音楽に関する理論を自ら学ぶ程の意欲。
・様々なアーティストとの編曲やプロデュース、ライブのサポート
・音楽を通して非営利組織としても活動中!!
個人的に歌が好きである、鬼束ちひろさんが活動休止状態だったことを知らず、さらにそれを救ったのが小林武史さんと「ap bank」ということに、救う環境とその地域の人だけでなく、日本で活躍の場を失っていた人も救っている!!!と感動しました!!
ap bankについての記事も書いてみたいです☆
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