血に染まった天井がある京都のお寺の正体は?何故、家康は大切にしていたのか?目的は?アクセス方法は?何だコレ!?×林修ドリルで紹介!

お疲れ様です。

歴史のもので血に染まったものってものすごく悲しさと痛み、苦しみを感じませんでしょうか?

私は戦争などの遺書や遺品に遺された血痕を見ただけで、ものすごく気持ち悪いというか、亡くなった方の思いが感じるのか重い苦しく感じます。

そんな時は供養の意を込めて手を合わせてお祈りしています。

今回は「何だコレ!?×林修ドリル~謎を解け!大調査SP~」で京都の、あるお寺に残された「血に染まった天井」という単語見て、徳川家康は何の目的でそんな恐ろしいものを「大切に」お寺に遺したのか気になったので、調査しまとめました。

スポンサードリンク

血に染まった天井がある京都のお寺の正体は?

血に染まった天井は共通して「血天井」と呼ばれており、その血天井がある京都のお寺の正体は1つではなくなんと6つ!!

これは資料によっては紹介された場所が異なるためです。

『京都大事典』より血天井のある所

正伝寺(しょうでんじ)、宝泉院(ほうせいいん)、養源院(ようげんいん)

『正伝寺』京都市内で血天井と称している寺院として

京都市北区の源光庵,宇治市の興聖寺

『京都・戦国武将の寺をゆく』血天井が残された京の寺として

右京区妙心寺の塔頭天球院,八幡市の神應寺

血天井の元である「血痕の残された床板」は5つの寺院にわけられたと調査で判明したので、6つの内1つは違うのか?と考えられるので、放送後に改めてまとめ直す予定です。

スポンサードリンク

何故、家康は大切にしていたのか?目的は?

京都・伏見桃山城の遺構。慶長5(1600)年、徳川家康の忠臣であった鳥居彦右衛門元忠の一党の約1800人が、石田三成の軍勢と交戦し、多くの武将が討死しました。

生き残ったおよそ380人全員も自刃、つまり切腹(自殺)し、流れた血痕が床に残されました。

家康は亡くなった一党の魂を冥福(供養)しようと、血痕の残された床板は5つの寺院にわけられました。

床板をあえて天井として移したのは、亡くなった部下達を自身の死後も子孫たちが供養し続けれるように考えたのでは?と記事作成中に思ったのですが、真実はどうだったのか・・・放送で分かり次第、追記します。

スポンサードリンク

アクセス

判明した5つの寺院が分かり次第、絞って訂正していきます。

正伝寺(しょうでんじ)

宝泉院(ほうせいいん)

養源院(ようげんいん)

スポンサードリンク

源光庵

興聖寺

スポンサードリンク

塔頭天球院

神應寺


いかがだったでしょうか?

血に染まった床板を天井に遺すのに何の意味があるのか?見せしめなのか?と思いましたが、家康の部下達が討ち死にしただけでなく、生き残ったものでさえ自刃してしまったという悲しい出来事を供養するためのものと知り、自分が余りにも冷たい人間なのかと思いました。

血に染まったものはとても気味が悪いものですが、無念に亡くなった方々のことを思うと、とても失礼だなと改めて考えさせられました。

今回の記事で「血天井」を見に行く時には、くれぐれも心霊スポットように変に騒がず、怖がらず、亡くなった方を供養する気持ちで静かに見てほしいと願います。

スポンサーリンク







シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

スポンサーリンク