お疲れ様です。
教育評論家である尾木ママの本名、尾木直樹と答えることができますか?
私はリアルタイムでホンマでっか?に尾木直樹さんの初登場を見た時は話し方のオネエさにビックリし、さんまさんが尾木ママと命名してから本名がパッと出てこないです。
尾木ママ曰く、娘が3人いる影響で自然とこういう喋り方になったそうですが、そういえば下の弟も私と妹で挟まれている影響からか、話し方が所々オネエ口調になっていて、周囲にめちゃめちゃ疑われやすいんです。
さて、ダウンタウンなうの人志松本のツマミになる話で、尾木ママが語った奥さんと結婚のキッカケ話がとても衝撃的でした。
今回は尾木ママがプロポーズの時に送った「わけしいのちの歌」の気になる内容や番組で語られた当時の尾木ママの状況などまとめて紹介します。
1.わけしいのちの歌とは、どんな内容の本?
本を書きましたがわけしいのちの歌は短歌(和歌)をまとめた作品集、歌集(かしゅう)で、江口 渙(えぐち かん)という方が1970年に出版し、民主主義文学のすぐれた作品に送る多喜二・百合子賞(たきじゆりこしょう)選ばれています。
尾木ママは短歌が好きであることを番組で発言しており、短歌おろか俳句てすら馴染みのない私には読んで分かるものなのか自信がないです。
一応、学校では自分で作るのは苦手でしたがテストの成績は母が面白い教え方をしてくれたおかげで悪くなかったですよね。
気になるわけしいのちの歌の書かれている内容ですが、Amazonで古書と記載されているとあって、試し読みすらできなかったので内容は分かりませんでした。
2.何故、尾木ママはこの本をプロポーズとして選んだのか?
わけしいのちの歌の裏表紙に『わけしいのちの歌ように僕と一緒に生きません?』と書いて送りました。
奥様と交際していた大学生の当時は学生運動で周囲がビリビリした状況に疲れてしまい『癒やし』が欲しかったのとこと。
“学生運動”と聞くと死者が出るほど大きく争った事件が起きた東大が真っ先に思い浮かんだのですが、よく調べてみると尾木ママが在籍していた早稲田大学も第3次まで行うほどの大闘争をやっていたことが分かりました。
1966年が特に全学ストライキとデモなどが大規模に学生運動が勃発しており、尾木ママが早稲田大学教育学部へ入学したのが1967年あたりで、さらに1969年に学生会館と本部が学生が占拠していました。
いつ自分も抗争に巻き込まれるかもしれない殺伐としたキャンパス内で勉学に努めないといけない状況なんて、私が当時その場にいたら通う自信がないです。
『わけしいのちの歌』の著者である江口 渙(えぐち かん)さんも大学を中退した頃に社会の矛盾に目を向けて社会主義や無政府主義になったり、プロレタリア文学運動に参加したり、わけしいのちの歌を出した頃には民主主義になったりと社会が変化するごとに様々な主義に変わっていました。
それぞれの思想に触れていた江口 渙さんだからこそ書けた短歌があり、それが思想の違いから大人と学生が争っている状況に疲弊しきっていた尾木ママの心に響いた上で、奥さんにプロポーズの言葉をわけしいのちの歌の裏表紙に書いて送ったんだと思います。
しかし、オネエな感じで明るく話す尾木ママにそんな殺伐とした学生時代があったとは驚きですね。優しい雰囲気の人にはとんでもない過去があると言われていますが、学生運動を間近に体験した身だからこそ、子供達に寄り添える先生になれたんでしょうね。
3.奥さんとの馴れ初めは?
奥さんに出会ったのが47年前の学生時代の時で「純粋そうな子」に見えたそうで、講の終わりにはいつも高田馬場の「ルノアール」によく行っていたものと言っていました。
ルノアールについて調べとみると、今でも営業している純喫茶店で、画像で見る限りとてもレトロながら上品さのある店内でした。
2年の交際期間を経てプロポーズし結婚しましたが、これが今思えば間違っていたと発言しました。
奥さんのことを良く言えば「天然な子」と言っており、当時の学生運動による周囲の空気に疲れていたために、より今の奥さんが大きな癒やしでもあり、明るい青春だったんだなと思います。
しかし、結婚を間違っていたといた尾木ママも2020年で73歳の3人の孫を持つじいじになり、松本さんが質問した性欲に関しては「棺桶に入るまで健在よ〜!」っと言っているため、奥様のことを今でも愛しているだなっと感じました。
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