お疲れ様です。
好みの酒蔵を見つけてから、日本酒を飲むことがが好きになった、君色です。
日本酒の好みは甘口とか辛口もあるのですが、やはり自分が美味しい!!と思えるお水で作られたお酒は、格別に美味しく感じてしまいます!
今回はヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 -の作中に、葛城ミサトの部屋で描写されているお酒「獺祭だっさい」を製造している旭酒造株式会社の「桜井博志」さんについて調べてみました。
1.父との対立
博志さんは酒造の3代目として生まれ、大学卒業後は大手の酒造メーカーで3年半働いてから実家に戻りました。
しかし、博志さんの父である2代目の認識とのすれ違いとその積み重ねからある日
「お前は明日から出社するに及ばず」
そう2代目に言われて退職することになりました。
覚えていないほどの些細なことだったみたいですが、博志さんからは多少なりとも東京を出て大手の営業を経験しているからか、父がやっていることは田舎の酒蔵という狭い世界の中でやっているというように見えたそうです。
その後は親戚に石材採掘業者がいたことから、反骨精神より酒造業から離れ、1979年に石材卸業の桜井商事を設立し、年商2億円の事業に育て上げることに成功しました。
2.3代目就任のキッカケ
1984年に父の急逝したため、旭酒造の3代目を継ぐことになり、旭酒造の経営に専念するためにそれまで経営していた石材卸業は従業員に譲渡したのこと。
旭酒造に戻った当初は怨念しかなく
「目にものを見せてやろう」
「自分が経営をすればこの酒蔵は立て直せる」
「自分がやる」
そんな気持ちしかなく、自信のあるかないかも考える暇はなかったそうです。
3.苦悩の末に誕生「獺祭」
社長就任時は第1次焼酎ブームの逆風が吹いていた影響で、販売量が最盛期の3分の1まで減少。
当時、看板商品だった本醸造一級酒『旭富士』を主力として、紙パック入り商品の発売や大胆な値引き政策で経営の立て直しを図ったが、改善には至らなかった。その後も試行錯誤を繰り返し、やがて酒造業の原点に立ち返るべく
「酔うため 売るための酒ではなく 味わう酒を求めて」
品質重視の経営に転換。
それにともない、東京圏の大消費者層にねらいを定めた大吟醸酒の開発に取り組んだ。そして、数年の後、『獺祭ーだっさいー』がした。
4.杜氏(とうじ)が去る異常事態
売上は着実に伸び、経営の危機を脱したが、1999年に岩国市の観光名所「錦帯橋」そばにオープンしたレストランが、わずか3か月足らずで閉店。
損失額は当時の年商に匹敵する約2億円に及び、旭酒造は再び倒産の危機に直面した。
先代からの「負の遺産」を解消した後に地ビールにも着手したがこれも失敗。
結果、酒造を担う杜氏が去ってしまう異常事態に。
しかし、杜氏の経験と勘を徹底的に数値化しデータ化することで杜氏なしでの酒造りを実現し、現在でも「獺祭」には杜氏が存在せず、データ分析は社員が、データ管理は敢えてパートの女性に任せているとのこと。
さらに酒蔵に空調設備を完備し温度・湿度を調整できるようにした結果、冬期に限らず一年を通して酒造り(四季醸造)が可能になり、生産能力が2倍以上にすることに成功した。
5.2018年の豪雨にも負けず!
7月豪雨の影響で蔵の一部が浸水・停電の被害もあり、酒蔵おろか冷蔵設備も稼働出来ないことから獺祭の製造を全て停止。7月28日に製造を再開し、被災した直営店も仮店舗で営業再開しました。
醸造中に被災し本来の品質が確保できなくなった製品を「獺祭 島耕作」として販売したところ予定分を完売し、売り上げの一部は被害地の四県の義援金に充てることができました。
「島耕作シリーズ」の作者である弘兼憲史は旭酒造と同じ山口県岩国市出身で、以前より旭酒造との交流が深く、今回の島耕作の版権利用を許諾した上での販売であった。
「獺祭 島耕作」の中身は品質が確保されていれば、普及品の「純米大吟醸50」または最高級品の「磨き その先へ」として販売されていた商品が数種類が入っており、どれに該当するかは明らかにされないという飲んでみないと分からないお楽しみ要素だったみたいです。
6.地酒初のKosher認証取得
Kosher(コーシャー、カシャー、コシェル)とは、元々はユダヤ教徒が口にしていい食物かどうかという認証だったのが、現在米国などで、オーガニック(有機)食品などと並び、純粋な食物を表す規格の一つとして浸透している。
この資格の認定は非常に厳しく、米や水などの主原料から、酵母を培養している培地に至るまで、材料の一つ一つを厳しくチェックされます。
獺祭は2011年より取得し、地酒としては日本で初とのこと。
またその認証の維持のため、直接現場で確認することが原則のため、年に数回ユダヤの牧師、ラビが抜き打ちで弊社を訪れ、彼らの基準に反してないかチェックを行っています。
写真で見ましたが、学校の資料集や「炎の月」でしか見たことがない、ユダヤ教徒が衛生服を着た状態での黒帽子(ユダヤ教徒では黒帽子と黒色の服装は正装。)はものすごいインパクトでした。
最初は地元の小さな酒蔵が、現在はアメリカへ酒蔵を作る計画がある発言があるほど、博志さんの代でかなり大きく成長しました。
しかし、それまでの経緯は決して綺麗ごとではなく、多くの苦労と信頼の損失などがありました。
今回の記事では旭酒造の桜井博志さんと獺祭についてまとめてみました。
桜井博志さんのまとめとして
父との対立で一度は酒造業から離れて、石材業で成功していた。
元々の主力の銘柄を辞めて、品質重視の「獺祭」のみに絞る。
飲食店や地ビールは上手く行かなったために、杜氏が去ってしまったが、この出来事から杜氏無しの経営に転換するキッカケに
日本だけでなく、世界的に有名な地酒に!!
コメント