もしかしたら私もバイセクシャルだった?

ココロとカラダ

お疲れ様です。

メディアで同性愛・バイセクシャル(知らない人に説明すると男女どっちでも愛せる人のこと)をアニメや漫画、ドラマで描く作品が多く紹介されるようになった、そしてカミングアウトする人も出現するようになったおかげか、差別や偏見が少なくなりつつあると感じる君色です。

以前にも書きましたが私の母が無自覚の腐女子であったため、私自身も無意識に「同性愛」に偏見や差別を持つというプログラムがありませんでした。

 

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初めて読んだBLの漫画が作風は美しかったのが大きく、あくまで美しい「恋愛」の形として知識の中に組み込まれました。現在の私はバイセクシャルではなければ同性愛でもない、いわゆる一般的に昔から言われる「普通」である「異性愛者」です。

しかしこの一般的な「普通」も後に変わっていくでしょう。

さて、今回はこの同性愛あるいはバイセクシャル(ここから略称でバイと表記します。)が自分にもあったのでは?と思った方、あるいは現在進行形で悩んでいる方に、少しでも役立てれたらと思い書きます。

 

1.自分は異性愛者ではないと感じたキッカケは?


自分の身体と心の性別が違うと感じたのはどんなキッカケでしょうか?

小さい頃から自分の性別に合った遊びが苦痛だった?

服装が自分の性別に合っていないから?

恋した人が同性だった?

自分がバイなのでは?と感じたのは何故でしょうか?

異性の失恋がキッカケでしょうか?

異性に恋を抱けるように、同性にも恋が抱けるようになっていたから?

逆に同性に恋を抱いていたら、異性にも恋を抱けるようになっていたから?

 

そもそもとは?

大学時代に受けた哲学の講座では、は相手に愛されたい、されるためにとる行動。は相手のために見返りのことなど無しに尽くす行動。と習いました。

この2つが重なることで「恋愛」となります。

 

2.私はバイなのでは?と悩んでいた経緯


私自身がバイセクシャルのでは悩んでいたのは中学時代。

私の家庭は父のせいで崩壊状態で、両親に指示されたことではないのに「良い子」を演じ続けなければ間が持たないどころか、父に八つ当たりをされる。母は私と弟、妹を置いていつも何処かへ逃げるため、学校へ行くことと好きな男の子への「片思い」が唯一の心の居場所でした。(後に両親は離婚し、家庭問題は解決しました。)

 

しかし長年好きだった男の子を恋愛相談していた昔からの友達に横取りされ、さらにこれは後に嘘だったと判明したのですが当時は性的なことを最終ステージまでやったと、共通の友達に暴露されました。

 

・・・私の心はこと如く打ち砕かれ、そして居場所を失ったと絶望感に襲われました。

 

そんな時に親身に慰めてくれたのが当時お互いを親友と呼び合う程、仲が良かった友達A。

私の晴らせない悲しみと憎しみを何日も、何日も文句を言わずに聞いてくれ、時折同感の言葉をかけてくれ、ゴナゴナになった心を少しずつ癒してくれました。

そんなある日、ふと友達Aに今までにない安心感とドキドキ感を覚えました。

その時、頭によぎったのです。

 

この感覚は恋した時と似ている・・・違う!!

 

失恋から抱く恋は間違っている!!漫画みたいにこれも失恋に終わる。

 

その前にこれはなのか?だけど友達とは違うこの安心感は・・・何?

 

私はバイなの・・?だけど友達Aは違う。同じBL好きだけどバイではないはずだから、迷惑になる・・・。あれ?迷惑ということは私は「普通」じゃない・・・?

 

荒れた家庭環境の中にあった癒しは母の買ってきた「BLの漫画」を読むこと。

当時の私の恋愛の指南書といえば同性愛も、異性愛も、バイセクシャルも美しく描く「ツーリング・エクスプレス」のみ。

読んでも何も解決策は見つからず、だけどこの抱いた気持ちを相談できる人もいないため、失恋の痛みと同時に自分のバイ疑惑が膨らむばかりでした。

 

3.自分がバイではないと気付いたキッカケ


そんな疑惑が解けるキッカケになったのが、好きだった男の子と共通の友達であり、お互いの友達に恋を抱いていたので、情報交換もし合っていた男友達でした。

失恋からしばらくしてから声をかけてくれ、度々励ましたり友達Aと交えて会話を楽しんだりしました。

その時にふと気づいたのです。この男友達にも友達Aと同じ感覚を・・・あれ?

ドキドキ感は友達Aも男友達も見てもそんなにしない・・・むしろこのドキドキ感は楽しいことをした時や嬉しい時の・・・・

 

そして同性の身体を性的に愛せるのかと考えた瞬間、

 

他の人は全く問題なく美しいけど、自分自身でやるのは気持ち悪い!!

今まで同性愛には差別や偏見を持たなかった私に芽生えた気持ち。

しかしそれは同性愛を生理的に否定するではなく、

自分が行うことを生理的に否定しました。

 

さらに答え合わせのように好きだった男の子がとある理由で深く傷ついて一人落ち込んでいた時に、当時彼女だった元友達は慰めをせずに、呑気に友達面で私に話しかけてきたのです。

元友達を上手く追い出して友達Aを含めた他の友達に涙ながら言いました。

 

「分からないから放置なんておかしい・・・」

「なぜアイツが彼女なのか?!あの子は今悲しんでいるのに何故そばにいてあげないの?!」

「あの子を近くで見かけた時、声をかけようとしたらアイツがチラっと見えたから・・・」

「私は彼女じゃないから抱きしめることもできない・・・少しでも慰めてあげたいのに・・・」

 

その時「恋愛」という定義を知らない私は経験的に気付いたのです。

相手が癒される行動をするのが「愛」。(正解かどうかは相手次第。)

「恋」は自分に振り向いて欲しい気持ちからの行動。(相手の気持ちは考えない。)

そして「同性を性的に愛せない」、「男友達にもAと安心感を持った」と、答えを合わせた結果

友達Aに持った感覚が「恋」ではなく、私から大事なものを奪わない信頼できる人への「安心感」ということが気づきました。

そして、失恋でバイセクシャルに目覚めた訳でも気づいた訳ではなく、絶対的な「安心感」を恋と勘違いしていたということです。


いかかでしょうか?

自身がバイセクシャルではないと気付いたのは

・性的に同性を愛せない。

・女友達に抱いた恋?(答えは信頼からの安心感であった)が異性の友達にも感じた。

 

しかしこれは私が導き出した答えであり、正解ではないです。

何故なら様々な恋愛があるように、異性愛者・同性愛者がバイセクシャルになることだってあります。

私は同性を「恋愛」の意味で愛することはできませんが、「それをできる人達」を差別や偏見を持つことはないです。

 

LGBTは世間で広く知られるようになりましたが、差別や偏見はまだ社会的に根強く、パートナーシップ制度や同性婚に反対する国や地域は多くあります。

 

私は生きている内に異性愛者じゃないからって殺される悲劇がなく、世界中で自由に恋愛できる環境になって欲しい・・・いやそうなるように行動したいです!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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